2014-12-07

持久力をつけるトレーニングと走りながら聴く村上春樹

ランニングを趣味で初めてはや7年。途中腰痛で中断もあったりして、本格的に走り始めたのは、ここ1,2年だが、最近わかってきたことがある。

持久力トレーニングの重要性だ。

持久力トレーニングとは、言い換えるとLSDやロング走のことで、要はスピードを求めず、心拍数も上げず、遅筋を増強してATを引き上げるために行うトレーニングのことだ。

今まで自分が中心で行っていたのは、スピードトレーニング。しかもかなり激しいやつで、心拍数は常に180近かったと思う。スピードをつける(キロ4分など)には良いトレーニングになるのだが、持久力という点でいうとあまり効果がなかったように思う。

特にそれを実感したのが昨年の東京マラソンだ。

30キロ過ぎまではかなり快調。初出場ということもあって、前半は3分後半のペースで入り、以下4分前半のサブスリーペースで突っ込む。今考えてもこれは早すぎである。

ただ、調子が良かったのだから仕方ない。スピードをあげても苦しくなく、足も痛くなく、何の問題もなかった。「自分はこんなに早かったんだ。あれ、これもしかしてサブスリーいける??」なんて思い始めた銀座4丁目交差点。

で、そこを過ぎて、雷門を折り返したところで足がぱったりと、本当にぱったりと止まった。

キロ4分前半が5分に、5分が5分30に。自慢ではないが、私はペースが落ちるときは一気に落ちる。周りの人間がこいつ何があったんだと、心配になるぐらいの落ちっぷりだ。

なぜこのようになるかというと、心が折れるというより、足が完全に動かくなってしまい、気持ちでは身体をカバーできなくなるのだ。どのようなメカニズムなのかわからな。ただ、ある閾値を超えた時に、私の足は走ることをやめるようにできているらしい。

そんなわけで、現在はスピードを捨てて、持久力の向上を最大のテーマにトレーニングを行っている。

LSD(ロング走)を2日間続けるBack-to-Backが中心。たまにスピード練習(といってもキロ4分40ぐらい)をするが、これは本当に気持ちいい。人の中をスピードをあげて駆け抜ける気持ちよさ、限界まで心拍を上げて、さらにそこから引き上げるときの、死に一歩近づくときに放出されるβエンドルフィンの快感はやみつきになる。

ロング走の最大のつらさは、山も谷もないことだ。つまり、苦しくて止めたいとか、苦しさの先にある快楽とかが基本的に存在しない。そこにあるのは、ただ機械的に走っているまさに機械のような一人の人間だけだ。もともと飽きっぽい私にはこれは苦行である。淡々とやり続けることが、走る苦しさより上回っている。

そこで最近取り入れたのが、好きな小説を音声に変換してそれを聞きながら走ること。さぁ走るぞー!!ではなく、ちょっと走って参ります、みたいな少し上品な感じのランニングになるので、走り初めの疾走感みたいなのは皆無である。いっその事エド・シーランのライブ(Be My Husband)を大音量で聞いて全力ダッシュしたいところなのだが、それでは3時間持たない。
小説を聞いてじんわりと面白さを噛み締めながら走る。これがロング走のコツだと思う。




最近読んだ小説では「女のいない男たち」が良かった。小説全体を通して流れるうら寂しさが胸をキューっと締め付けて、ランニングしながら聞く小説でないことはあきらかだったが、妙に気に入った。
好き勝手走っても、料理をして待っていてくれる嫁がいる幸せを身を持って感じられた。同時に独身でいることの自由さも羨ましくなり、過去の恋人のことなどを思い出したりした。セックスネタが多かったからかな。。。


12月はあっという間に過ぎる。月間300キロ。小説片手に頑張ろう。







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